遠く、男は何処までも広がる砂塵を見ながら自分の名の事を考えていた。

 己を顧みる行為は禁じた訳では無かったが、思い返せばそうした事をした覚えはろくになかった事に今更に気づく。意味を見い出せない、理由に思えたものとすればそれが多分大きな処だけれど、ほんの僅かに自嘲も多分、含まれてたのだと今なら判った。
 自分の名を腕の中の幼子に与えた時、一つの命の誕生に眼を細めて喜ぶ事が出来なかった、自分の弱さが。振り返る程度は、今なら出来た。
 何でも出来る男と呼ばれ、呼ばれる事に価値を見出した事も、あった。
 頼られて背を押され、差し出された掌を受け取り握り返した事も。
 まるで何かの幸いの様にその名を口にし、取り囲んでくる優しい綺麗な人々を、その全てを幸せに出来ると本当に信じていた事も、あった。



01:ファーストネーム




「・・・いつだったか、言ったなぁ。憎まずにいられなくなったら、俺だけを憎めとなぁ。・・・結局あの甘ちゃんのこった、そんな事しねぇですっかり笑ってたんだろうがな」

 手ごたえの無い砂塵を踏みしめながら、前を見据えて小さく笑う。
 前に来た時は、二人で歩いた大地だった。夜逃げをする様に神殿を出、草も木も無い不毛な大地を延々歩いたものだった。後ろから付いてくる不安げな足取りに、思考を先読みして言葉を発してやれば狼狽を素直に顔に出す、そんな連れだった。
「気づけばあっという間だ」
 あれから自分の娘は無事一つの命を産み上げて。故郷とは言えずとも、それに今は近しいルナンへと移住し、家族揃って腰を落ち着けた、娘。
放浪をまた始めてから訪ねこそはしてないが、風の便りを弾ませて耳にしたものだ、身を寄せていた第二の神殿。地上で、尚且つ放浪する自分の耳にさえ届く、神殿に向けられる安定と信頼の声。良くやっているのだろうなと、思えば懐かしささえ溢れてくる、脳裏に蘇る馴染みの顔たち。
 こうして自分が歩いている大地さえも、木も草も何も無い、生きる気配のまるでしない不毛さはもう何処にも漂っておらず、小さな芽吹きや不意に頭を通り過ぎていく鳥達を眼にする度に、生き物の逞しさを見せ付けられていく。
 風が運んでいく砂塵はうっすらと金色を纏っている。
 それは眩しい太陽の光の反射か、もしくはそれに眩んだ自分の眼の錯覚なのかもしれないけれど、いずれにしろ、その柔らかさと包み込む暖かさは気の所為なんかでは無い。感触が無いのとは違う、手ごたえの無さ。それは言い換えれば、母性なんて言葉に後づく包容力に少し、似ていた。
 自分が名前と共に、幾ばくかの思い出や感傷を何処か知らぬ場所に捨て置いてきてからは随分な時間が過ぎた。そうして世界が金色の光に包まれてからも、少しの時間が、経った。
 延々と続く大地を歩きながら、足を進める理由を、己を顧みる行為以上に見い出す事が出来なかった男の名前は、イルダーナフという。



 うっすらと、ほんの僅かではあるが世界は緑に覆われ始めているのだと、気づいたのはその場に立って、初めての事ではあった。
 通常、強い結界を張った場所というのはその穢れた空気から切り取られた空間であり、癒やされる形になる。その一箇所だけが草や木の成長が著しくなり、遠くオアシスや恵み多い森の基点になったりもするのだけれど、この大地の上ではまるで逆の現象が起こっていた。
 正確な数字は覚えていない、あの、金色の雪が世界を満たした日。
 イルダーナフがこの地に居た事を、切り取られた様に白いままの土が確かに覚えていてくれた。ポツリポツリと散らばる周りの緑に、まるで混ざらないその円は、あの時確かに自分達が其処に居た軌跡であった。
 共に同じ赤い空を見守った、自分の娘は今は遠いルナンにいる。イルダーナフの中では変わらない、睨みつけるばかりの幼い、それでも袖を掴む子供。それが成長し子供を宿し、自分がとうとう手に入れやしなかった暖かな家庭を築いているというのだから驚きだ。
 同じ様に背を見送った可愛くも無い義理の息子は、きっと変わらない穏やかな笑みを隣で浮かべているのだろう。いつかまた頃合を見て、顔を出してみようとはイルダーナフも思っている。そうしてそれが、今はまだ時では無い事も。判っていた。
 足元を風が攫い、丈のほんの少し大きい草がその身を流し、また背筋を伸ばして凛と立つ。
 眺めれば自然と目尻が緩む。
 またこうして足を運ぶ事など、正直無いだろうと思っていた、それは別れの地。



 ・・・思えばそれは奇跡のようなものだった。
 同じ名前が集うのだ。風に背を後押しされ、呼ばれる様に請われる様に。そうして歩いて辿り着いたこの場所で、一人が消えて一人が生まれて。名前を捨てた自分が、それを見守った。
 そうして気づく、必ず二人の男が居たという事。
 カイルロッドという名は、必ず二人のものだった、この金色の地。



 砂塵が混ざった銀の髪はそれでも輝きを損なわず、赤い一房はまるで流した血の受け皿の様にぽっかり浮かび。遠目からでも判る、忘れられる事の無い青い瞳。
 カイルロッド、とそれは捨てた名前である事は重々承知の上で。
 イルダーナフがその自分の名を噛み締める様に呼び掛ければ、大気に溶けた青年は変わらぬ笑顔をゆっくりと、向けたのだった。








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また会えた。


ただ言いたかったのはおかえりなさい。
それと君に、あえてよかった。

ただそれだけの思いの後押しで、捏造が始まります。ごめんなさい。






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