まけずぎらい





少年






赤チンの名前はヨードチンキという。
眼下で空けられた瓶を眺めながら、へー俺初めて知ったよ。なんてぼんやり平馬が口を開くと、明らかに大量に余計に塗られた。というか掛けられた。
一回ぎゃあ!とそう叫んだきり、それから後は平馬は大人しく口を閉じる事にした。目の前に居る相手の機嫌が随分下降しているのは判っている。ただ理由までは平馬も判らないので、黙る事にした。
同じ東海選抜の顔なじみ、ユースでも何度か対戦した事ある相手と言っても、彼は平馬の友人な訳ではないから。どちらかというと平馬にとって彼は嫌いで嫌な奴で、この怪我をした原因だって、実を言えば彼が大元の事だった。
赤チンを塗られた膝の擦り傷は大した事は無い。軽くぽん、と叩かれて、ひ!なんて平馬が仰け反るのを確認してから、千裕は平馬の足首を取る。引っ掛けられて転んだ足は、ほんの少しいつもより熱を持っていたようだ。
救急箱から湿布なんかを取り出したから、大袈裟だなぁと思わず平馬が呟けば、テーピングになるんだよ。と怪我の治療だとロッカーに平馬を無理矢理連れてきて以来、初めて千裕が口を開いた。
千裕と、仲がいい訳じゃない。
平馬も沈黙は嫌いだし、とにかくそんな訳で今まで居心地が悪い空気がずっと流れていた。これ幸いに、とつい思ってしまって、なあ、と気になってたその事を、口にしたのは普通な事だろう。きっと。


「なんで小田、怒ってんの」


湿布は少し伸ばして張ると、足首が固定されて確かに少し、楽に感じる。
包帯を取り出して平馬の足首に当てながら、千裕は小さく別に、と言った。
うっそだぁ、と平馬は、眼下の旋毛を指で弾く。
「眉間に皺がいってる」
いつも穏やかで、いつも笑顔の小田千裕。
けれど今見せているような、数少ない不満げなそんな表情はよく向けられるから平馬も知っていた。
取っ組み合った擦り傷だらけ。自分よりあからさまに重症の、喧嘩相手達は今、そういやどうしているのだろう。加害者の自覚はまるで無く、ぼんやりと平馬は外に思いを馳せた。
怒ってないよ、と彼はゆっくりと繰り返す。
「ただ、腹を立ててるだけ」
「・・・怒ってるじゃん。それ。人の喧嘩で腹立てんなよ。らしくない」
「―――なら、お前も人の事で喧嘩をするな」
硬い声とは反対に、包帯を巻く千裕の手付きは丁寧で優しい。慣れてるから。そう言って、トレーナーよろしく友達のそういった怪我の治療をしてやっている彼の姿を平馬も何度か見た事があった。自分も数度やってもらった事もある。手際の良さと心配してくれる気持ちがまた悔しくて、確かお礼も言わなかったような気がする。
毛嫌いしてた。無視だってしてた。悪く言うのは、自分だけで。良かった。
「・・・見てた奴から聞いた。俺の事なんだろ発端。・・・・圭介なんかの側に居ると、嫌でも比べられて聞かされるんだ。俺は慣れてるから、怒ることないよ」
よこやまが。
ぎこちない、何だか変な間を置いた言葉尻と本当に困った顔のままの、苦笑。
聞き流せば、千裕は包帯の端をきつく巻いた箇所に挟みこんでいる処だった。テープで止めた方がしっかりするのは勿論だけど、もう後は片付けも無く帰るだけだからこんな程度で勿論良い。
何で怒ってんのより。本当は聞きたい言葉と、言いたい事が平馬にはあった。口に出る言葉はまるで違うそれだったけれど。
俯いてやれば目に入るのは包帯の白。小さな窓から差し込んでいる光は赤くて、少し色付いて見えた。だから考えもせずに、口に出せた。


「・・・小田、は」


言いながらしっくりこない、その呼び方。多分お互い様なのだと思う。
共通の友人の山口圭介。人懐っこいあの人間の信条は名前呼び。とにかく略して、連呼する。
耳タコになりそうなくらい繰り返されて、身体に本当は馴染んでしまっている。いつもは耳にしている名前を、平馬も千裕もそのまま口にしているから。
「凄いプレイヤーだよ。けーが、いても。いなくても」
「・・・横山」
「認めてる相手、馬鹿にされたら誰だって怒るよ。・・・噛み付くのは、羨ましいからだ。判れ、馬鹿」
悪態に混ぜて溢した言葉は、思いの他に滑り落ちて。ああ本当はずっとそう言いたかった認めたかったんだと、そう気付いた。
自分じゃ決してなり得無い存在。憧れていた。だから、気に障ってむかついて。それでも嫌な顔はせずに困った様に千裕はいつも笑うのだ。
そんな顔をさせるのは、自分だけでいいと。思ってたのだ。
「・・・ちーのばーか」
治療はおしまいだ。夕陽も沈んで、夜の闇の気配が段々と近づいてくるのも判る。けれど二人、動けずに其処に居る。
仲良しでもない。友達でもない、チームメイト、そんな関係。動けずに、黙っている。


ヨードチンキは乾くとかさかさになった。
塗りすぎたそれが痒くてもどかしかったので、平馬はまだ辛うじて色付いてる膝小僧を千裕の足に塗りつける。色付いた赤。へへーんだ、と歯を見せて笑えば、千裕も平馬!と拳を振り上げる。ふりをする。




夕焼けと赤い染み。
擦り傷増やしてロッカーで暴れて、ひとしきりの後に揃って上げる笑い声。
子供らしい意地の張り合いで、多分言葉なんかにしないのだろうけれど。思い返せば、僕等はこの日から。










@確かめるのは照れくさくて言ったことないけど。


友達になる、そんな事の始まりを覚えている。そうにないけど、でもどこかに必ずあるんだ。










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