辰巳は吉原でも噂に名高い、この大見世の男衆だ。


 三つの時に売られて以来下人として使われて。
 一筆書きとも評されそうな単純な目鼻にロクに与えてもらえなかった食事が元でも留まらずに伸びた身体は陰間として売る選択肢も幸か不幸か辰巳に与えずに、太夫の用心棒として部屋の前に陣取る程度には成長した。


 見世の女士は商売物。

 昔話の様にはたまた寝屋の睦言の様に言い聞かされて辰巳は今まで育ってきた。
 自分が居る廊下の扉一枚、部屋の中から零れ落ちる声など子守唄のようなもので、お陰で何の感情も抱かずに部屋の番をすることが出来る。
 ちらりと視線をずらせば線香の煙が何処からか入り込んでいる風を受け、ゆらゆらと流れていくのが見えた。
 女郎を買い取れる時間、一切分の線香。その残りは僅かなもので、興を下げる事になるだろうが、頃合を見計らい声を掛けなければいけないだろう。
 部屋の中に居るのは辰巳がいつも付き添い、世話をするよう命じられている太夫付きの新造だ。他の太夫や遊女とは違い、客を取らせる事の無い「引き込み」の立場の筈が、今日はどういう訳か見世の一番奥の部屋へと客と共に通された。しかも楼主である三上の案内で、だ。
 特別な相手なのだろうか、と思う反面、新造の見世出しの近さをどうしようもなく窺わせた。
 見世出しは一人前の遊女になる為の儀式の様なもので、盛大なものになりその為には金が要る。これからは太夫としてどうしても客を取らずにはいられないのだろうから、その前の価値がある内に仰々しく客をつけて金を吸い取ろうという腹なのだろうか。三上の顔を思い浮かべながら、辰巳は詮無き事を思う。

 絶頂の声なのだろうか、一段と高く響いた声。辰巳は聞き流し、それでもぼんやりと思いを馳せる。

 自分と同じ様に、幼い頃にこの見世に売られてきてどこか兄弟の様に育ってきた存在。
 隠し切れない、押さえ込めない嬌声を襖越しに耳にするのは、流石の辰巳もあまり穏やかな気分ではいられなかった。
 お互いの立場を距離を理解しつつ、噛み締めていれば鼻を擽る匂いの微妙な移り変わりに気付くのが遅れる。何時しか線香は灰を溜め、煙も僅かな香りを醸す程度へとなっていた。
 辰巳が居を正し、中へと声を掛けようとする丁度に襖が開いた。
 うすら笑いを浮かべ、またの来訪を告げながら男は辰巳に気にも留めずに廊下を歩いていく。
 入り口とは反対の、楼主の部屋がある左へと曲がっていった後姿は酷く堂々としていて、何処か理由も無い胸の昂ぶりを辰巳に与えた。其れは何処までも理由が無く。形に残るものでは無かったが。


「・・・辰巳、さん」


 掠れた声。
 名の呼びは介抱の合図で、辰巳は頓着も無くまだ情交の跡が色濃く残る寝所へと足を運んだ。起き上がれずにぐったりと横たわる身体を抱き起こし、水差しを与えて乾ききった唇へ僅かながらの潤いを与えてやる。
 満足に脱がしてももらえなかったのだろう、薄衣は申し訳程度に身体を覆い、白い残痕の染みがキツイ匂いを残していた。
 下肢の辺りにひっそりと浮かんだ赤い模様に気付けば、思わず辰巳も渋面な表情を作らずに得無い。
 白い肌に赤い跡。頬には涙の痕跡をしっかりと残した腕の中の小さないきものを、辰巳は出来るだけ出来るだけ柔らかく抱き直す。
「辰巳さん」
「・・・・・大丈夫か」
「ごめんなさい・・・ありがとう。大丈夫、です」
 心配かけちゃった、と笑う姿が痛々しかった。
 少し力を入れれば折れてしまいそうな細い身体は昔から変わらない。いつも一緒に居たから良く判る、辛い時こそ笑う癖。幾ら水を浸した所で潤わない喉を軽く撫ぜ上げ、辰巳は掌をそのまま目尻へと伸ばす。赤く腫れているから、後で冷やすといいと思う。
「随分と手酷い扱いを受けたみたいだな。・・・三上・・・いや、楼主も人が悪い。華々しく見世出しをする為にしたって、身を投げ出させずも良いだろうに」
 嘆息めいた呟きは自然、自分の置いている立場など横に置いてのものになる。
 辰巳たちを買った主人と、その子供。
 同じ場所で、違う扱いで、育った三人の子供はそれでもそれなりの親しさを持っていた。ふざけて転げまわって笑顔を浮かべた時代が、あった。
 主人は先日病に倒れ、楼主の座をまだ年若いその一人息子に譲り渡したばかりだった。辰巳も本人から直接その事を聞いて知っている。もうこんな風に話も出来ねえな、と言って浮かべた哀切とも言えた笑み。それはすぐこないだの事。確かな憂いがあった、彼の横顔。


 幼馴染と言えば容易い。
 女郎と下人とその主人。お互いの存在も言葉にしてしまえば、こんなにも容易い。


 叱責のつもりは無かった言葉に、力無い腕が動いて、辰巳の着物の裾を掴む。いいえ、と首を振るのも辛かろうに、彼は笑う。
「いいんです」
「・・・・良くは、ないだろう」
「いえ、あのひとにもちゃんと言われてますし。・・・今まで客を取らずに済んだだけでも感謝してます。ずっと守ってもらって・・・気遣ってくれてありがとう。辰巳さん」
 呼び捨ててもらって構わないと、何度言っても聞いてもらえなかった。
 それでも鈴が鳴るような声は心地良く、名を呼ばれるのが好きだった。ありがとうと笑われるのが。笑顔を見るのが、好きだった。
 護るのが仕事で気遣うのが当たり前で、それでも決して思い違いをせず。こうして抱き合うような形になって、お互いの距離は何処か離れていて。
 辰巳がまた言葉を続けようとすれば、その唇に指を逆に添えられる。
 向かい合う形。自分の他は人払いのされた部屋、寝屋の空気はそのままだ。辰巳の腕を抗う事も無く、その胸の中で濡れたままの瞳が微かに揺れる。

 呼んでください、とささやか過ぎるけれどそれは唯一の懇願で。
 意を汲んで、辰巳は口を開く。添えられた指は柔らかく包み込むけど、握りつぶしてしまいそうな儚さだ。
 女郎の名は笠井と、言う。
 昔馴染みで、守らなければいけない相手で、手を出してはいけない見世の物。
 辰巳に与えられた小さな部屋で、酒を汲み合せながら何度も二人、繰り返した。その名前だ。
「笠井」
「・・・そうじゃなく。」
「・・・判ってる。・・・たくみ」
「―――もっと」
「竹巳。たくみ、・・・たくみ―――」
 何時の間にか気付けば腕に力が込められていて、強くつよく、笠井の身体を抱きしめていた。
 笠井も辰巳のそれを受け入れて、黙って目を閉じている。背に手を腕を回す事は無い。ただ繰り返される名前を、じっと聞いている。刻み込む様に。忘れない、ように。
「竹巳」
 言いながら抱きしめながら、目尻が熱くなるのを辰巳は感じる。
 何時もは決してそう呼ばない名前を、それでも繰り返すのは笠井がそう望んでいるからだった。
 笠井、という花魁の名前。見世ではそう通している。下の、売られてきた時にまだ有った幼名を知る者はもう辰巳と後、一人しか居ない。

 呼んでほしいのは、一人しか居ない。

「・・・いいよ別に。判ってる。・・・代わりにしろ」
「――――――・・・っ」
「・・・いいんだ、本当に。俺は」
 くぐもった声が、笠井の耳に届いたかは判らなかった。
 こっそりと鼻を啜ると奥の方がつんと染みる。抱きしめる腕の力を緩めなくても、役得と思うには抱え込んだ思いの長さが邪魔をした。

 女楼屋の息子と売り物の花魁。
 連れ出す事も逃げ出す事も叶わなかったしなかった。背中合わせですら無い、三上と笠井。多分彼らは一度も肌を合わせた事が無かったけれど、その思いは。

 辰巳だって判っている。だから多分、笠井も判っているのだろう。いいんです、と言って浮かべた淡い笑顔。
 見世を継ぐその前日、酒を飲みながら三上が少し。泣いた事を笠井は知らない。



「―――・・・いいんだよ」


 同じ様に泣くか、もしくは笑えないかと、思って鼻をずず、と啜る。線香の匂いが遠くにした。汗と精液に塗れた澱んだ空気にそれは少し混じって、辰巳は目を閉じて嗅いでみる。
 始まってもいない、二人の関係。伝えてもいない自分の気持ち。そのそれぞれを感じ得る。
 嗚咽は何時しか部屋に響いて、それでも笠井は誰の名も呼ばなかった。
 辰巳もだから何も言わずに、彼の代わりに抱きしめて。
 逃げようなんて戯言を嗚咽と共に飲み込んだ。


 線香の火はとうに消えうせているけど、もう少しだけ。
 もう少しだけ、誰かの思いに火をつけて。








@わたしのおもいははいになり空に散り、いつか、どこかへ還るでしょう。


キリリク、辰巳・・・のはずが勢い余って花魁はなし。色物。
辰巳は用心棒で女郎笠井に禁じられた恋をしていて主人の三上は素知らぬ顔で笠井を買わずに思ってる。
ちなみに結末は八百屋お八です。(え)
てかやりたい放題すぎますがいいのかな・・・いくないだろうな・・・(判ってるならやるな)









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