ふと歩調が緩んで、だからふと気がつけた。久しぶりに見る、友達の背中。







 昔は嫌いだった。中西秀二。

 …正確に言えば、苦手。だった。
 その姿を眼にするだけで身体がつい竦む程。声を聞いて俯いて、肩を叩かれて背筋を震わせて。そうして「根岸?」と心配げな声を掛けられて、どんな顔をしていいのか判らずに迷った挙句のぼんやりとした笑顔を返してしまって、後で一人、理由も無く落ち込む程度には。彼の事が、確かに自分は苦手だった。
 久しぶりに眺めた後姿を追いながら、ゆっくりとした歩調のまま根岸は思い出す。あの当時、随分と考えたけれど理由なんて思いつかなかった筈だった。本来人好きな性格、第一印象だけで人を嫌いになる事なんて有り得ない。寧ろ、人に対してマイナスイメージを持ち続けるなんて気の長い事を、根に持たない楽観主義の自分が思えば出来る訳なんて、無かった筈だった。
 ポジションも別だから、プレーを羨む事もしなかった。大森のラインコントロールや高田のフィジカルの強さ。眺めながら、当時は良く居残って特訓をした記憶がある。自分の良さに持ち味に、気づくには随分な時間が掛かったけれど、決してそれが無駄だなんて今だって思わない。無駄じゃないよ、と、言ってもくれた。それは確か、随分な励みと今に至るまでの、背中押しになった。
 何時から練習相手になったかなんて、なってくれたかなんて。思い出せない。頭を振っても、元々の軽い中身は変わらないから、一周ぐるりで早々にやめる事にする。相変わらず眺める中西の背中。背筋がいいのは昔からだな、と根岸は思い出す。
 そういえば昔は進んで絡みもからかいもしてこなかった。三上や近藤なんかと良くするじゃれ合いめいた喧嘩を何だか楽しげとも違う、細めた柔らかい視線で見ていた様な、それは遠い記憶。思い出しながら、真似するつもりで目の前の旋毛を一人で見てやった。ただ素直に、見難かった。
 真直ぐに歩く背中。揺れもせず淀みもせず。細まった、狭い視界の中の中西の背中は、根岸の記憶とそれでもまるで変わらずにいる。
 昔は良くこうして歩いていた。大股一歩分空いた距離を保って、好んで彼の背を追いかけた。目を合わせず、視線も感じず、ただ一方的にひとり。ひとり、彼を見詰め続けていれば、喉元に浮かんでこない奥底の感情も、上澄み程度は掬える様な気になったのだ。
「根岸」
 訳も判らず面白くなって、噛み殺せなくなった笑いが根岸の口に出る頃には流石の中西も足を止めて振り向いてきた。
 不満げ、というより困惑に近い表情に、ごめん、と手軽な謝罪を口にして足を速める。小走り二歩分、容易に二人は隣同士になれる。そういえばこういう時、中西が呆れてもしくは珍しく怒って、先に行ってしまうという思考を根岸は持たない。何でだろうと思う。けれど、答えは出てこない。そうして今日も並んで歩く。何時も通りの、友達の顔だ。見慣れたその、中西秀二。


「中西なんだよなぁ」
「…根岸が何を考えてるかは判んないけど、根岸が根岸な様にね。俺も、俺」
「…うん、それでいい。行こう」
「ん」


 昔は確かに苦手だった。中西秀二という、友達。
 理由は思い出せないというより、想像出来ない。もしくはしない。根岸にとって、中西の存在は当たり前だから。考えた処で多分、「中西だから」としか答えない。







@こたえをしるそのひまで、多分そのひもかわらずに。


誰にでも人懐っこい根岸が中西にだけ苦手意識を最初は持ってたら、それもまた可愛いかなと。
いや、実際は苦手だと思うんですよね。滅多に抱かない感情を抱かせるあいて。中西の方はただただ特別な「救い」めいたものを根岸に思ってはいるんですが。(このへんはいつか)(いつかっていつだ)
何であれ、特別なんて気づかずに思わずに。となりにいればいいじゃないか。



そして世間一般(というかお友達各位)のかわいい中根を横目でじっとり羨みながら、ちょっと修行の旅にでもいかせたくなったり。あー。









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送