自慢ではないが根岸靖人は筆まめで、年賀状は元旦に届かせる。



元より友人が多いのも昔からだけれども、そもそも沢山のそれを眺めるのが好きだった。
出した分だけ、とはいかなくとも、出さないよりは返事は来る。まとめて印刷されたのやスタンプだけと味気無いものも中にはあっても、普段はまるで遠慮の無い、友人達の汚い字や新年の慣れない挨拶は何度見ても面白い。
明日には寮へと戻る日には、一通りの年賀状の山に今年もなった。
満足感に浸りながら、根岸は明日には会うだろう友人達のハガキを別に置く。枚数は9枚。改めて数えて、今年もかよと呟いたのはほとんど無意識の内の事。



「ほい」
一年目は素直に届かなかった?と首を傾げて聞いて、いいやと答える彼から奪い取ったかの感じになった。
二年目は何だか嫌な予感を感じつつ、喪中でない事を今更調べたりと色々やってる内に何でもない顔で渡された。
三年目、それが今年。新学期が始まってから約一週間。
中西は相変わらず無気力な顔のまま、何の気負いもなく今更な年賀ハガキを根岸に差し出している。
「・・・・うん。サンキュ」
「あけましておめでとう」
「うん」
今更過ぎるよ!と怒鳴ったのは、去年も一昨年も同じだった。
新学期から素知らぬ顔をし通しで、どうせ気にしてるのは俺だけなんだろうなぁと拗ねも佳境に入る頃、中西は年賀状を必ず寄越す。
正確に言えば15日。その朝に急いで書いたのだろう、乱暴で汚い一枚のハガキ。
三年目の根岸はそれだけ渡してふらふらと去っていく中西を問い詰める事も無く、自分も踵を返して職員室へと足を運んだ。ノックして扉を開ければ、おー根岸今度は何やらかしたんだと明るげな声が掛けられる。さらりと無視して新聞見せて下さいと頼むと、お前が新聞!?と腹を抱えて大笑いの担任だ。どんな風に思っているかが、良く判って面白いじゃないか。
「・・・・ふん」
捲りなれてない新聞はどこに目当てのものが載っているかなど判らない。
それでも丹念に一枚ずつ探せば辿り付く、数字の羅列。手の中のハガキとそれを交互に見比べて、根岸は深い溜息をつく。
「―――やっぱり、あった」
一等のカメラとかTVとか、当たった事は未だ無いし、見た事も無い。
それでも中西は毎年、切手シート付きの年賀ハガキを必ず寄越す。
15日、新年の挨拶なんてもう遠い頃。付加価値なんかどうでもいいからもっと早くに、そう思うのは毎年の事だった。
溜息をもう一つ吐いて、根岸は新聞を教師へと返す。年賀状はポケットなんか入れずにしっかりと手に持って、失礼しましたと神妙に。
扉を閉めた途端に廊下を根岸が駆け出す理由は、それでも毎年同じだった。



例えそれが中西の思い通りでも、思惑に進んで乗った、とくべつになった。





@意識してても、しなくても。


年賀状、中根編。
中西はそういう素敵なことで素でするんだよ、きっと。








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