それは「僕」らが『僕等』になる前の、話。





急な雨に足止め受けた。
アーケードに沿って一列に。大きな大きな相合傘の相手は同じムジナの雨宿りの、でも顔も知らないのっぺらぼうの人、人、ヒト。
暗い白を見上げる毎に、溜息一つ。ふぅ、と何回重ねただろう。
「あ」
「・・・すいません」
「こっちこそ」
擦れ違ったその一瞬、振り向かなかった。



雨音に水溜りだらけの道を掛けるそれが混ざって、昼間なのに何処か薄暗い道奥へと消えていく。
雨はこの荒れ果てた世を嘆く神様の涙なんて、言ったのはクリスチャンの国語の先生だったと思う。今にも屋根を突き破ってきそうな勢いのコレから推測するに、神様のお怒りは余程と見える。
雨宿り始めてから30分。
学校のジャージを頭から被って走っていったさっきの人は、溶けて消えないだろうか、そんな馬鹿な事を頭の隅でちら、と考えた。
横目だけでなくあからさまに顔を横に向ければ、背の高い少年が困った様に空を仰いでる。
何となくいい人そう。大きな手と緑色のブレザー。それと。

「・・・サッカーボール」

コロコロと道路へと転がっていくそれ。
考えるより反射で飛び出して捕まえれば、土砂降りの神の恵みを全身で受けた。それでも掌にしっかり収まったそれが何だかすごく愛しく思えた。
猫の様にふるふる、と身震いして水を弾けば「大丈夫?」と心配げな声を掛けられて。
慌ててボールを差し出して、にこり。笑えた自分に満点をやる。
「少し濡れちゃったけど、コレ」
「それよりこのタオル使って拭いて、身体。・・・ごめんな。せっかく雨宿りしてたのに」
「あ、俺が勝手にやった事ですし・・・まぁいいや。俺も走ろっと!」
少し上から掛けられる声も、受けてみれば意外と気持ちいい雨も全部。心地良さに任せて、彼にタオルを投げつけて、何処か薄暗い道へと駆け出した。
驚く気配が一瞬で遠くにいっていて。何だか少し、面白かった。


「―――君!」
音は全て雨の支配の下なのに。
耳に直接届くような凛とした、その。
うちのチームのキャプテンに見習わせたいと思ったのも、本当。反射で振り向いたのも、本当。


「・・・ありがとう」


一度だけ後ろを振り返った。
雨の遮断も何のその、細めた目で姿を追えば、胸に抱えたサッカーボールだけはしっかり視界に映ってくれた。
だから笠井も加速をつけて、走り出せた。



この高揚さは雨でも消せない。




・・・その時僕らは何も。
何も知らない。

目の前の暗く狭い視界に映る物事を追い掛けるので精一杯で。
未来なんて言葉の意味すら考えた事すらなかった子供の、自分たち。

擦れ違った時、何も思わなかった。
僕等はまだ出会ってもいなかったから。








雨の日の雨宿り。


うっすらとした記憶の中、
もしかしたら、貴方。









運命なんて馬鹿な事言わないけど。














1、 冬の日



目の前に転がってきたサッカーボール。
反射的に座り込んで、無意識で掴んでしまうのはもう少年の習性といってもいい。
どこか既視感を感じつつ、それでも胸のそれはしっかりと抱きかかえて。
何だか重く、大きく感じたのは、あの武蔵森のモノだと思う気負いの所為なのかな、と。
思いながら手で何気なくそれを弄びながら、目だけはすぅ、っと前を行く。
フェンスの向こうには広い広い練習場。
白と黒のジャージがプライドの証、そんな物が無くとも自然、奪われてしまう視線。
綺麗だなんて、誰が思うんだろう。
迷い無い動きに駆けるその姿に拭われないその汗が。
目を離せないなんて、馬鹿なのかなぁ。




小柄、までいかないものの、何処か小ささを感じさせる少年はまだ義務教育課程を三分の二クリアしたばかりの御歳で。
猫っ毛で纏まらない髪と人を射抜く強い強い目が風に負けて、少し揺らぐ。
少年は前を見る。
それは憧憬、けれど何時かは辿りつくと信じている場所。
風が。
また大きく、髪を撫ぜた。




突然の突風でグラウンドの砂がまるで高波の様に風に乗って襲ってくる。
庇いながらも細めて凝らした少年の目に飛び込んでくるのは、ホースを伸ばして風に向かって闇雲に掛け捲る水。と楽しげな馬鹿みたいな顔。
これだけの名門、これだけの設備。スプリンクラーくらいあるだろうに、水と砂に塗れて水道前を陣取る彼等は酷い格好だ。
何だ大して変わんないのな。
現金なもので少しだけほっとして、だから途端、掛けられた声に何となく、びくりとした。
「―――おおぃ」
「・・・は、はい?」
「悪い。そこのボール、投げてくれ」
振り向き様に入った砂を慌てて取った。
クリアな視界に映る、駆け寄ってくるのは見惚れていたジャージと色違いの、薄い青。冬の今の空みたいな、何処か惚けている色褪せ空。
冬は寒いから太陽がすぐに暖を求めて山並へと帰ってしまう。青空が気付けば宵色に、それから闇の黒へと移り変わる。
どれだけの時間。一瞬の様に幾ら思えても、重ねて重ねて過ぎる。それ。
発注担当者の嗜好にそこまで意味を持たすのも単なる物好きだとは思うけど。
ぼんやり考えていれば、何時の間にやら彼は目の前に。
「・・・あぁ。コレ」
一頻り辺りを見渡して首を傾げてから、小さい掌に弄ばれていたそれに今更の様に気が付いた。
名残惜しい気もしたけれど、ひょい、とバスケのパス宜しく手首を効かして前に立つ彼に投げつける。胸から真っ直ぐ送ったボールは大きな音を立てて腹の辺りで受け止められた。あからさまな身長差。少し赤くなったのかもしれない、その掌を軽く振りながらそれでもありがとう、と笑うその余裕さも何だか悔しかった。
彼は随分と長身で、シンプルな顔に細い目は最初は畏怖めいた近づき難い印象を抱かせたが、笑って緩むとそうでもない。
卒業間近とは言え、まだ小学生という立場の少年にとっては、その上の彼等中学生なんてその辺の大人と変わらない。少なからず緊張していた身体からふ、とだから力抜き、長身の彼を上目遣いで見遣ってみた。
「武蔵森の人、ですか?」
口からするりと出た言葉だ。
それでも少年はがっかりする。部外者立ち入り禁止なんだし、そんな事当たり前だろうに。何かもっと有益な事言えないか考えて考えて、少年はあーとかうーとか口をぱくぱくさせて。浮かばなくて結局黙る。
正面の彼はまた小さく笑う。落ち着くのを見計らった、その間の取り方は実に絶妙だ。
「・・・そうだけど?君、小学生?」
「は、はい。あの、俺、今度受験するんで―――見学に」
「へえ」
それは本当だけど嘘だった。
普通学校見学なんて保護者同伴が大原則だし、そもそも学校にも当の武蔵森にも、申請もしてなければ許可も貰っていない。
自薦他薦の選抜テストの日程を聞いてから初めての日曜日。
もどかしさが溢れて、愛車のチャリをがっ、と掴んで長い坂を二つ登った。
春はそれは綺麗だろう、今は寂しいだけの桜並木を通り越して河を挟んだその向こう。
息が上がったふらふらした身体で見る校舎は、ただの憧れのそれじゃ無かった。


・・・其処に在りたいと。
思ったら気づいたら、ペダルを、また漕いでいた。



「俺、武蔵森自体に来るの、初めてで―――・・・勝手にふらふらと入り込んじゃったんですけど、あの、まずい・・・ですか?すいません」
怒られる前に謝ってみる。それはTVで学んだカツオ的手法。怒りを半減させる為の、生きる術みたいなのだ。それでも少年の場合確信犯じゃないから始末に悪い。
そんな少年の萎縮した態度に彼は周りを軽く見渡してから、手に持っていたボールを投げ返してきた。
「平気だろ」
細い目がさらに細まり、まるで線と点。この人は似顔絵とか簡単そうだなぁ、と大変失礼な事を頭の隅で思いながら彼の笑顔を受ける。
軽々と投げられたボールはやっぱり少し、重かった。
「天野とか・・・いや、同じニ軍の他の奴とかだったら追い出すんだろうけど。俺はその辺あんまり細かい事考えないからなぁ・・・。あ、ボール、運んでくれる?悪いけど」
助かるなぁ、と。たった一つのボールを運んでもらって酷く嬉しそうに手をぶんぶんと振る彼の心情は掴めない。言われるままにボールを持って後を着いていく。
緑が多い校舎。広い敷地。錆付いたフェンスは何処までも続いていて。


入れない。





「・・・背、高いですね」
「うん?最近急に、本当に急に伸びたんだけど。178。膝の裏っ側、痛いな」
「レギュラーじゃないんですか?」
「背の高さだけならギリギリ滑り込める・・・けど。違うなぁ。青のジャージはニ三軍の証、そう易々と伝統のタイダル柄は渡せないって話で・・・ボール拾いも、見学の小学生の引率も。一軍だったらまずやらない」
「そりゃそうか」
「うん」
他愛も無い会話を続けていく。
あからさまに子供で、思いつきと勢いで口から発進する自分の言葉にゆっくりと、でも確かに付き合ってくれる彼は優しい。
学校の勉強、リフティングのコツ、背の伸ばし方。フェンスが何処までも続くから色々聞いた。そこでふと、少年は彼の名前を聞いてなかった事に今更に気がついた。
「あの」
「・・・うん?」
改まって顔を向けられると何だか気恥ずかしい。でも持ち前の負けず嫌いと、隣の家の何時も吼えてくる犬をサッカーボールでやっつけた時の勇気を思い出して振り絞って少年が口を開くと。
「辰巳」
自分でも彼でもない声が、曲がり角から掛けられた。




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それは僕らが僕等になる前の。





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