初めて足を踏み入れた城塞都市ルナンは、思っていたよりずっと立派で活気があった。
異常気象が吹き荒れた昔、ほとんどの都市が跋扈する魔物や食料不足からくる飢えに対応出来ずに壊滅の道を辿ったと聞く。そんな中生き残った数少ない都市、ルナンに、青年が来るのはこれが初めてだった。日頃からお世話になっていた、母代わりのような人物がルナンに移住すると聞いて、僅かながらと思い手伝いに来た。それだけで。
青年が住んでいる土地からルナンはそう離れてはいないし、足を運ぶ機会は正直な話今までもあった。それでも何かと理由をつけて一度も足を踏み入れずに来たのは、やはり、心の何処かで拘ってしまってからだと思う。
青年の名前は、エリオスと言う。
封じられていたユーリンという魔物に村を、人々を全て奪われた。その生き残りのたった一人だ。当時のルナンの王子カイルロッドに助けられた少年は青年となり、今は近くの村で働きつつ、湖の湖畔の村の火をそれでも絶やさずに暮らしている。



「よっ、にいちゃん旅人だね!なーに探してんだい?」
日頃過ごしている安穏とした優しい時間が流れる村とは違う、喧騒や通りに立つ市にエリオスも自然と目が奪われてしまったらしい。きょろきょろと物見高く視線をやっている内に、果実売りの男とエリオスはしっかりと目が合った。気のいい印象を人に与える朗らかさは相手に警戒心を与えない。エリオスも言われて思い出した、小腹の空りを素直に告げた。
挨拶代わりに出した果実一つ分の代価を受け取りながら、それならと男は笑う。
「すぐそこの道角の店にいきなにいちゃん。店構えは汚ねぇし亭主もろくにやる気もねぇが、味と値段は保証済みだ!何たってルナン王室御用達だからな!」
テンポ良い口上はまるで語り部だ。大仰な男の振る舞いに通り一面がどっと沸く。親しさと和やかさから出る合いの手は途切れずに続いた。
「そんな事言い始めたらおめぇの店もだろうよ!」
「言い出したら切りがネェ。界隈一帯、先代からのご贔屓よ!」
「はっはちげぇねぇ!めでてぇ国だからよルナンってとこはな!・・・まっ、良かったら行ってみなにいちゃん。ソルカンもこの時間ならまだ閉めていねぇだろ」
時間は昼を少し過ぎた頃。辺りを見渡せば幾筋も食堂の煙や独特の匂いも感じれる一番の時間だ。男の台詞に多少の疑問も感じつつも、手を上げて軽い礼をして差された店にエリオスも向かう。程無い距離の間に齧った果実は酸っぱさと甘さが程好いバランスで、乾いていた喉を丁度良く潤した。
大通りに面したその店は確かに汚く小さくて、流行時のこの時間に人の出入りが一切無かった。不信感を素直に顔に乗せ、中を窺う様にエリオスが扉の隙間を覗き込めば、まるで計ったかのタイミングで古い横すべりの入り口がぎりり、と嫌な音を立てて開いた。微妙な体勢を直せないまま固まれば、無愛想な声が降ってくる。こんな時間から暖簾をしまう、その手慣れた手付きには何の迷いも無い。そんな有り得なさだった。
「・・・客か?」
暖簾の棒を肩に掛けつつぬけぬけと問い掛けする店主など、Uターンして見なかった事にしても良かったが、ついつい頷いてしまうエリオスもまだ若い。
彼は店の中をちらりと一瞥し、一瞬悩んだ素振りを見せたが「・・・まぁいいか」と言って立て付けの悪い戸を力任せに開く。暖簾はそのまま店の中に仕舞う割に、自然な動作でエリオスを招きいれた。
「あいにく今日は大食らいの客が来てるんでろくなもんが残っちゃいない。ま、それでも良ければ適当に用意するから座ってくれ。まとめて運ぶから奥に揃って並んでくれれば尚助かる」
棚から酒瓶を不自然に取り出しながら、顎で店の奥を指し示す。
そう広くも無い店内の、一番奥には長机が一つ。客は二人で、他には誰も居なかった。一人は子供で、一心不乱に皿を抱えこむ姿は微笑ましい。多分その父親なのだろう、向かいに座り、飢えた子供を暖かい目で眺めながら穏やかにお茶を飲むまだ若い男が、一人。
まるで流し込む様に食べる子供の動きで空気は微かに動きを帯び、その度に彼の服の袖が少しだけ揺れる。
未曾有の危機の際、色んな事があった。隻腕など今更珍しくもないというのに、いざ目の前にしてみれば少しの驚きと共に見つめてしまうのは反射の様なものだった。不躾な視線に彼は構わず、「どうぞ」と少年の隣を左手で差した。勧められるままエリオスは少年の横に座り、自分でも気付かない内に張っていた気を、こっそりと抜く。
多分「適当に」作ってくれているのだろう、エリオスの返事も待たずに店主が消えていった厨房からは油が跳ねる音と香ばしい香りが段々と漂ってきた。
不思議なもので、一度意識をすると途端に腹は減ってくる。朝からロクに食べてない事を思い出しつつ、エリオスは手持ち無沙汰に横に座る少年の食事を眺めた。
・・・犬の様だなと思ったのは、第一印象。
地元の生まれなのだろう、この辺に多い褐色の肌に青い目が映えている。それなりに整っているだろう顔立ちには今は顔の所所に食べカスをつけて、屈託も無く幸せそうに歪ませていた。
肩に届くか届かないか程度の長さを、適当に一つに括っている、銀の髪。
ぼんやりとつい重ねてしまうのは、彼と初めて会ったその時の、まだ幼かった自分の姿だ。
「お待ち」
基本的に気配を感じさせない店主の動きは丁寧でもないのだが、音も立てずに料理の皿をテーブルに乗せていく。長机が途端に色とりどりになって、エリオスも遠慮無く箸を持って小皿に料理を移し始める。口に入れてしまえばエリオスも食べ盛りの青年だ。少年の事を笑えない勢いで、皿を抱えて食べ始めた。
「こら」
皿が一つ空になる頃、ぱこん、といい音が店内に響く。
「もう充分食べて甘いものもお茶も飲んだだろうが。人のもんに手を出すんじゃない」
「だってあれも美味しそう」
「また来たら作ってやるから。・・・てゆうかちゃんと躾ろ父親め。食事が冷たくて不味いからなんて理由でほいほい抜け出していいもんじゃないだろうが。・・・どいつもこいつも」
多分それで殴ったのだろう、お盆を片手の店主は涙目で頭を抱える少年から相変わらずの穏やかさでお茶を飲むエリオスの斜め前の男へと矛先をあっさり変える。ただし言葉の強さとはまるで違った、彼らの表情。言って笑って言われて笑って。間に居る少年は、二人の顔を交互に見比べて、そうして意味も無く、笑いを重ねる。
しあわせなすがた。
自然と映し重ねる家族の団欒。シチューを作るのが上手かった母親と、湖で釣りばかりをしていた父親。お帰りなさいと迎え入れれば空のバケツを何時も渡した。下手の横好き。そう言って、漏れた笑顔。
顔も姿もまるで違う彼らを、眺めていられずにエリオスは目頭をぐいと擦る。どれだけの時間を重ねたとしても懐かしみだけが胸に残る、訳じゃなくて。
「・・・おにいちゃん?」
気付いたら覗き込む顔が一つ。
くせの無い銀の髪が揺れて、思い出す。子供だったと今は。今なら。
「ごめんねっ、あの、勝手に手を伸ばされたら嫌だよね!・・・食べるの、邪魔して。ごめんなさい」
「・・・ああ」
「母上にもダヤン・イフェにもいつも怒られるんだ。もっと落ち着きなさいって。・・・人の嫌がる事、しちゃいけないって何度も言われてるのに」
途端にしょぼんと小さくなった少年の頭を、躊躇わずに撫ぜれるのは時間の所為なのだと思う。何度も罵って責めて、責めて。助けてもらったのにお礼も言わず、旅立つ後姿を見送った。それから一人湖を眺め、それでも暮らして食べて働いて。笑って。過ごした時間の塊が、今のエリオスの背中押しになる。
気にすんなと言えば、少年は笑って。昔見た笑顔と、よく見ればまるで似てない事にも気が付いた。
「ごちそうさま。・・・どうも」
掌を広げて指し示された分の代価を素直に支払い、エリオスは席を立つ。頭をもう一度撫ぜれば、少年はまたね!と人懐っこく声を掛けてくれた。目線を合わせてまたな、と返せば、テーブル向こうの青年の笑顔も奥に、映った。
「俺はエリオスという。この近くに知り合いが居るから足を伸ばしてきたんだが・・・多分また、お邪魔する事もあると思うよ。だから、またな」
「・・・うん!」
エリオス、というのは昔の英雄の名前だと聞いた。肖って子供の名前につける親がその頃は多かった。良い治世を行った王や、物語の英雄の名前を借り受けるのが多いのはこの辺一帯の地方性なのかもしれない。
エリオスも聞いた事が何度かあった。ルナンに、多いのだと。だから、驚きなどしなかった。
扉を閉める直前、最後まで手を振りながら少年が叫んだ名前。
「僕、カイルロッドっていうんだ!ありがとう!・・・またね、エリオスお兄ちゃん!」
それは確か、一番新しい昔話で。
優しい笑顔で。
エリオスがあの時伝えられなかった、たった五文字の言葉だ。
「・・・さて」
日は何時の間にやら下りに入り、引越しの荷物を抱えた相手の待ちくたびれた顔もエリオスには簡単に想像ついた。少し歩調を速めて人込みを抜けていく。苦でないそれに、ほんの少し。顔を緩めた。



自然と足を通わせ躊躇わず、カイルロッドと、少年の名を呼べる様に、いつかまたそれだけの時間が過ぎるのだろう。
確信めいてエリオスが歩けば、自然と目に映ったのは小さな花売りの少女。買い取ったブーケは二つ。
移住のお祝いとそれともう一つ。湖の前に立つ、彼女の墓に添えようと思った。






@ゆるさない、わすれない。けれどたちどまらない。


一巻「旅立ちは突然に」の後半に出てくる、湖畔の村の少年エリオス。妙に好きです。彼の目にはどんな未来が映っていたんだろうなぁと。
どれだけ苦しんでも湖の側で夜を明かしても、歩みを止めない強さを持てるといい。








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